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力道山対木村政彦 [プロレス]



大宅賞に森さんと増田さんが受賞

>第43回大宅壮一ノンフィクション賞(日本文学振興会主催)は10日、森健さんの「『つなみ』の子どもたち」(文芸春秋刊)と「つなみ 被災地のこども80人の作文集」(同)、増田俊也さんの「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮社刊)に決まった。

今回受賞となった作品から、力道山対木村政彦について触れてみます。

wikiから、二人の因縁について抜粋します。

>シャープ兄弟組と戦う時の力道山のタッグパートナーは、戦前戦中に15年間不敗のままプロに転向した柔道史上最強と謳われる木村政彦だった。

>しかし、ここで問題が起こった。シャープ兄弟との戦いでいつも負け役は木村で、その木村を助けに入った力道山が空手チョップで倒すというブック(プロレス界の隠語で試合進行台本)に嫌気がさした木村政彦との間に亀裂が入るようになった。

ここまでが経緯。観ている方は良くても、木村政彦にとっては面白くなかったのでしょうか。
この後、木村政彦は力道山に挑戦状を叩きつけ、力道山もそれに応じます。
この試合は、「昭和の巌流島」と呼ばれています。

>力道山は挑戦に応じ、1954年12月22日、「相撲が勝つか柔道が勝つか」と騒がれたプロレス日本ヘビー級王座の決定戦が行われた。しかし、この試合は予想だにしない凄惨な結末をむかえた。試合途中、力道山が突然殴りかかり、そのまま張り手の連打を打ちまくって、戸惑ったままの木村政彦をそのままKOした。木村は大量の血を吐き、マットに大きな血だまりができた。観客たちも驚き、会場は静まりかえった。明らかに普通のプロレスではなかった。

この謎の試合は後に八百長疑惑が発覚し、プロレスの権威失墜につながりました。

さて、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」では、この試合を
木村政彦視点で描写しているようです。
当時は力道山視点ばかりでわからなかったことも書かれているのではないでしょうか。









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